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カジノから風俗まで、あらゆる欲望を
満たすハイアライビル


-その他ギャンブルちょっといい話-

 基礎知識で御紹介した4種目についてはたいした「ちょっといい話」もないので、ここではマカオの歴史と治安について書いてみたいと思います。歴史については、思いっきり要約しているので、そのつもりで読んでください。

 かつて、マカオのフェリー発着所はいまのように半島北東部(外港)ではなく、西側(内港)にありました。それゆえ、ホテルにしてもいまや営業しているのかどうか分からないほどボロい半島酒店とか、あの近辺を中心に栄えていたわけです。
 本による知識ですが、戦時中まで遡るとマカオを代表するホテルは中央酒店(今の新中央酒店)だったそうで、なんにせよセナド広場より西側がかつての繁華街だったことが分かります。
 そしてこの西部地区は、かつてマカオのカジノ利権を握っていた勢力(以下、旧勢力)の支配地域でもあったわけです。ところが、現在マカオのカジノ王と呼ばれているスタンレー・ホーの一味(以下、新勢力)がカジノ利権を奪い取ってから、マカオ地図は変化していくことになりました。リスボアを中心に、繁栄は東へと広がっていったわけです。

 それでもぼちぼちバランスを取りつつ時間は流れていったわけですが、カジノ利権の期限切れとマカオの中国返還が見えてくるに従い、動きが出てきました。権益を守ろうとする新勢力、久々の巻き返しをはかる旧勢力、そして大陸などから進出を計る第三勢力……。その戦いが、一時報道を賑わせたマカオの抗争だったわけです(最も派手に戦ったのは香港系vs大陸系だという説もありますが、なんにせよ多くの血が流れたのは事実です)。

 権益を守りたい新勢力が経済を東側(新勢力の縄張り)に集中させようと考え、その結果水上カジノやカンペックカジノが東へと引っ越す結果になったという説もあります。もさらに、一方では殺人を伴う派手な抗争がありました。狭いマカオのことですから、爆弾にせよ銃撃にせよ、人目のあるところで実行される機会が多くなります。それゆえ、一時マカオが危険危険と騒がれたわけです。

 しかし、実際のところはどうだったかというと、そんな派手な抗争の時期でもそれほど危険だったわけではありません。須田は当時もよく現地に行っていましたが、抗争を肌で感じるような機会はありませんでした。マフィアの皆さんからしても、「邪魔だから弾の当たりそうなところにはおらんでくれ」という感じでしょう。マフィア同士、さらにそれを取り締まる警察・司法当局などの間では相当な殺し合いがあったようですが、観光客レベルでは無縁のものでした。

 表だったドンパチがなくなった今は、さらに安全だと言えるでしょう。他のアジアの国で強盗などに遭う危険性を考えたら、マカオはむしろ安全です。もちろん、立ち入る場所や時間によっては危険なこともあるかもしれませんが、それはマカオに限ったことではありません。

 さて、そのように新勢力と旧勢力が戦っていたマカオですが、中国に返還されたことによって治安は一層強化されました。ポルトガルに忘れられたような植民地だった旧マカオに比べて、中国の警察・司法は比べものにならないほど強権的だからとも言われています。

 そんなマカオにおいて、今度は観光客にも関係のある動きが起きようとしています。数十年の間一社独占が続いていたギャンブル利権が解放され、うまくいけば複数社による競争が導入されようとしているのです。
 本来のスケジュールより遅れている(本来は96年末に切れる利権が約5年延長され、さらに先送りになっています)カジノ利権再構築ですが、近い将来一社独占が終わる日は来るでしょう。アメリカのカジノ資本が参入するという噂などもありますが、それが本当ならマカオは大きく変わると思います。

 これまでは一社独占の弊害で、マカオのカジノには「顧客サービス」という概念がありませんでした。ディーラーの態度が悪いのはもちろん、香港澳門流の不愛想接客をさらに煮詰めたのがマカオのカジノでした。チップを勝手に取るなど、ギャンブルの根幹に関わるようなことまでおざなりになってきたのがこの数十年だったわけです。

 外資の参入によって、そのような事態が変わるとすれば喜ばしいことです。日本人が指導に入っているハイアライのパチンコ屋はそこそこちゃんとした接客をするので、社員教育次第ではマカオに「居心地のよいカジノ」を作ることも不可能ではないはず。それが実現すれば、マカオはさらに魅力的な「旅打ち先」となるでしょう。